ネガティブなものに対しても常にオープンで、
一切抵抗しなければ、
私達はそれにつきまとわれずにすみます。
自分の中に醜いものの存在を許してあげれば、
私達は
美しいものを自由に作り出すことができるのです。
自分の愚かな部分を認めてやれば、
私達はどんな高い知恵でも得ることができるようになります。
愛が最も気高く、最も神聖な行為であるのは、
愛がその中に常に愛でないものまで包み込んでいるからです。
タデウス・ゴラス
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「愛が最も気高く、最も神聖な行為であるのは、
愛がその中に常に愛でないものまで包み込んでいるからです」
この部分はこの本の中でも特に大好きなセンテンスです。
僕がヒーリングの可能性について探求し、
同時に精神世界を探求しながら学んできた大切なことの一つは、
「良い・悪い」で自分を切り分けないということです。
例えば、不調や痛み、
ネガティブな感情も、
排除すべき敵ではなく、
今の自分の立ち位置を知らせてくれる大切なサインです。
それらに抵抗せず、存在を許してあげると、
つまり、
ハートと繋ぎ、ハートの目で見つめてあげると、
「それ」は小さくなっていくことがほとんどです。
愛とは、
整ってから注ぐものではなく、
整っていない部分ごと包み込むこと。
実は、僕がお伝えしている手愛手は、
そんな在り方を思い出すための時間でもあります。
手愛手のセッションでは、
痛みも、影も、未熟ささえも、魂が目覚める
ための入口として迎え入れます。
ただ静かに手を当て、
評価も判断も手放したとき、
手を当てる人にも、手を当てられる人にも、
内なる本来の光と叡智が静かに立ち上がります。
愛とは、清らかな状態になることではなく、
愛でないものをも抱きしめ続ける力です。
手愛手は、
その無条件の愛を身体を通して思い出す祈りの時間なのです。
(河野先生のメルマガより)
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「愛が最も気高く、最も神聖な行為であるのは、
愛がその中に常に愛でないものまで包み込んでいるからです」
本当に素敵な言葉(´艸`*)
手愛手は、自分の内側とお話しする時間だなぁ…といつも思いながら、施術も練習もしています。
お相手を尊重はするけれど、お相手のために…とは思ってなくってね、ただ、自分の内側が感じたように手を当てていくの。
まさしく、河野先生が書いてらっしゃる通り、
その無条件の愛を身体を通して思い出す祈りの時間 だと感じています。
私は私のレベルで、少しずつ、その在り方を思い出してる最中です(´▽`*)v
あなたも、手愛手、ご一緒してみませんか?
あなたがあなたを大切に出来ますように♡