平均的な人間は、
不信や苦難に身を任せることを、
感受性や精神性の印だというふうに考える。
ありていに言うなら、
どこにでもいるようなその類いの人間は、
感受性などというものとはまったくかけ離れた無縁のところにいる。
その人間の、
およそ取るに足りない理性が、
意図的に己をそうだと思い込んだ怪物、
もしくは聖人に作り替えてしまうのだ。
だが、事実に即して言えば、
巨大な怪物であれ聖人のようなものであれ、
そんなに大きなものの中に押し込むには、
その人間の理性は、
あまりにも小さ過ぎるのである。
「未知の次元」
☆
僕たちは理性という、とても「小さな基準」で、
自分を「過大評価」して天狗になったり、
また反対に自分を価値のない存在として、
「過小評価」して落ち込んだりしています。
ですが、そんなことはいずれも
「生命の真の可能性」という、
生命基準から見れば
どうでもいいようなことで、
「自作自演のドラマ」でしかないのです。
「未発見」のままになっている
生命の壮大さや可能性からしたら、
僕たちの理性的な基準は
余りに独りよがりで、小さ過ぎます。
平均的な人間、
どこにでもいるようなその類いの人間から、
脱却しましょう!
(河野先生のメルマガより)
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カスタネダ(の師のドン・ファン)の言葉は、難しくってよく分かんなかったんだけど、
河野先生の解説で何となく分かった(笑)
自分の生命の可能性を外側と比べて「過大評価」や「過小評価」せずに
まだ自分自身でさえも発見できていない、「生命の真の可能性」 を信じよう・・・ってことだと思う。
誰かや何かの基準と自分を比べてしまう時って、人を見下すか自分自身を見下すか…のどちらかになっちゃう。
どっちも違うのに、理性はいつも、そうやって評価してくるの。
本当に河野先生のおっしゃる通り
「僕たちの理性的な基準は 余りに独りよがりで、小さ過ぎます。」 ですねー
もっともっと、自分の可能性を信じよう(^_-)-☆
あなたがあなたを大切に出来ますように♡