今日は人生の究極の逆説について考えます。
世間の多くの方が、
自分の人生に何かが欠けていると感じているようです。
心の内側にいつも欠落感や分離感があります。
だからいつも、
外の世界に「不足を埋め合わせるもの」を
探しているのかもしれません。
無意識のうちに自分自身の「不完全性」を感じ、
「完全性」へと向かおうとしています。
自分の「闇」を照らそうと「光」を求めています。
でも「人生」とは、
「不完全から完全へ」と、向かうものなのでしょうか?
「闇から光へと」向かうものなのでしょうか?
もしこの前提が「間違って」いたとしたら?
最初から自分は「完全な存在」であり、
「光そのもの」であったとしたらどうでしょう?
光である自分をただ忘れているだけだとしたら、
どうでしょう?
「不足している自分」という認識から「出発」するのか、
既に「満たされている自分」という認識から「出発」するかで、
人生は大きく変わるに違いありません。
それは「愛と優しさから世界を見る」のか、
「恐れや不安から世界を見る」のか、
という視点の違いでもありますね。
「出発地点」の生命観が変われば、
見える世界はまったく変わってくるでしょう。
だから、僕がお伝えしている「手愛手」は、
ある時から「病気治し」をやめました。
「問題探し」もしません。
セッションに来られる方の
人生で何が生じているとしても、
その人の「中」に解決策と
解決能力があることを信頼します。
人生ではいついかなる時でも
「完全」と「完全」が出会っている、
これが僕の今の認識です。
人は「手を当てる」ことで見かけの
「不足や病み」の奥にある完全性に出会います。
「生命の神秘に出会い」
「宇宙的な愛に出会い」ます。
ただ必要なこと、それは、
「愛の中でくつろぐことだけ」なのです。
「自分は人生に必要なものを全て持っている」、
これは人生の究極の逆説の一つなのだと思います。
(河野先生のメルマガより)
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「出発地点」の生命観が変わったとき、河野先生が書いてらっしゃる通り、見える世界が全く変わりました。
だからといって、嫌なことがなくなるわけでもないし、合わない人を大好きになれるわけじゃないの(笑)ただ、この出来事も、この人も、何かを教えるために経験していることなんだ…って認識に変わっただけ。
ただ、それだけで、本当に「愛と優しさに溢れる世界」に変わっていくの( *´艸`)
そして、自分の人生に起こること全てを信頼できるようになる。そして、そのマイナスな経験から(もちろんプラスの経験からも)、何を得られるのか…と考えるようになることで、不平不満・愚痴・文句が、減っていくの。
もちろん、なくなるわけじゃない。でもね、確実に減るの。だからね、不平不満や愚痴に使っていた時間が、幸せな時間に変わるの(*´▽`*)
そして、その状態の自分が、次の幸せを引き寄せていく仕組みになってるの。素敵でしょう?(´艸`*)
そして、自分の人生を信頼できるようになってくると、人の人生も信頼できるようになるの。だから、人間関係も良くなるの。良いことばっかしでしょう?
私が「手愛手」を学びたい!と思ったのは、河野先生のこの認識と出会ったから。
僕がお伝えしている「手愛手」は、ある時から「病気治し」をやめました。
「問題探し」もしません。
セッションに来られる方の人生で何が生じているとしても、
その人の「中」に解決策と解決能力があることを信頼します。
人生ではいついかなる時でも「完全」と「完全」が出会っている、
これが僕の今の認識です。
そして、この信頼する感覚は、本来、誰もが持ってるチカラだと感じています。
【手愛手タッチ瞑想伝達会】 一緒に自分の中にある信頼を育てていきませんかー(^_-)-☆
あなたがあなたを大切に出来ますように♡