世界は完全だ。魂も完全だ。
どんなときも完全と
完全が出会っている。
完全な世界から、
完全な現象が現実化している。
目に見える現実に
不足や欠点を見いだすのは、
人間の不確かな視力なのだ。
☆
ある時、こんな言葉が降りてきました。
以下はその言葉を元に、
自分なりの想いや理解を言葉にしてみました。
僕たちは、
「自分の人生に何かが欠けている」
と感じている。
だから、
いつも外の世界に不足を埋め合わせるものを
「探して」いる。
無意識のうちに自分の
不完全さを感じ、
完全性へと向かおうとしている。
自分の闇を照らそうと光を求めている。
でも人生とは、
「不完全から完全へ」
と向かうものなのだろうか?
「闇から光へ」と向か
うものなのだろうか?
もしこの前提が間違っていたとしたら?
最初から自分は完全な存在であり、
光そのものであったとしたらどうだろう?
ただ光としての自分を
忘れているだけだとしたら、どうだろう?
「不足している自分」という認識から、
出発するのか、
「既に満たされている自分」という認識から
出発するかで、
きっと人生は大きく変わる。
それは愛と優しさから
世界を見るのか、
恐れや不安から世界を
見るのか、
そんな立ち位置の違いでもある。
「出発地点の生命観」
が変われば、
自分の住む世界は全く変わってくるだろう。
だから僕がお伝えして
いる「手愛手」というタッチは、
「病気治し」をしない。
「問題探し」もしない。
クライアントの人生で
何が生じているとしても、
その人の中に解決能力
があることを知ったから。
『いつでも完全と完全が出会っている』
人は人に「手を当てる」ことで、
見かけの弱さの奥にある「完全性」に出会う。
生命の神秘に出会う。
宇宙的な愛に出会う。
そして、自分の神性を発見する。
必要なのは、
ただ愛の中でくつろぐことだけだ。
(河野先生のメルマガより)
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私たちは、本当は幼い頃に
自分が感じた温かい感じや冷たい感じ
気持ちいい感じや気持ち悪い感じ
を正確に分かっていたんだと思うの。
けどね、躾という名のダメ出しをされて、
「感じたこと」よりも
頭で考えて、常識に当てはめて
良いか悪いかで判断するようになっちゃった。
誰かに何かしてもらったり、物をもらったら、
「ありがとう」と言いなさいって当たり前に言われてきたもんね。
本当に必要で嬉しくて、顔がつい笑顔になるようだったら、
言われなくても、心から「ありがとう」って言葉がでてきちゃうでしょう?
なのに、思ってなくても言わなければいけないって、みんな常識で思ってる・・・
大人になる過程で、
常識を守って人から嫌われないように
常識外れと後ろ指さされないように
自分の本当の心を無視して、置き去りにしてきたんじゃないかな。
だから、河野先生が伝えてらっしゃる
「自分の人生に何かが欠けている」
って思うようになったんだと思う。
3歳までに抱きしめられて育った子どもは
大人になると「世界は優しい」と感じるらしいし
逆も然りで、ほったらかしにされた子どもは
大人になると「世界は敵で危ない場所」と感じるらしい。
あなたはあなたの世界をどう感じている?
ファイティングポーズで、騙されないようにって、敵と戦って生きてない?
それとも、愛に溢れた優しい世界だと感じてる?
「出発地点の生命観」を「既に満たされている自分」に変えちゃおうね(*´▽`*)v
あなたがあなたを大切に出来ますように♡